2014年06月26日

大東亜戦争の真実 武士道を貫いた日本軍

大東亜戦争の真実

武士道を貫いた日本軍




<マレーシア> ラジャー・ダト・ノンチック(元上院議員)
日本軍は、長い間各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い
とても白人には勝てないと諦めていたアジア民族に感動と自信を与えてくれました。
長い間眠っていた「自分たちの祖国を自分たちの国にしよう」という心を目覚めさせてくれたのです。

二ミッツ元帥(太平洋艦隊司令長官)
この国を訪れるもろもろの国の旅人達よ。
故郷に帰ったら伝えてくれよ。
この島を守るために、日本軍人は全員玉砕して果てた。
その壮絶極まる勇気と祖国を想う心根を!

<イギリス>スリム中将(イギリス第14軍司令官)
たたかれ、弱められ、疲れても
自身を脱出させる目的でなく、本来の攻撃の目的を以って
かかる猛烈な攻撃を行った日本の第三十三師団如きは
史上にその例を殆ど見ないであろう。

<韓国>朴鉄柱(韓日文化研究所)
現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は
決して日本から仕掛けたものではなかった。
平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。
それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。
日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。
それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。
日露戦争と大東亜戦争。
この二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。
この意義はいくら強調しても、強調し過ぎることはない。
大東亜戦争で日本は敗れたというが
負けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。
彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。
日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。
日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。
ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが
こんなものはすぐに回復できたではないか。
二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが
しかし彼らは英霊として、靖国神社や護国神社に永遠に生きて
国民尊崇対象となるのである。

ガザリー・シャヘー(マレーシア元外務大臣)
日本はどんな悪いことをしたというのか。
マレー半島で南下したときの日本軍は凄かった。
わずか3ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。
私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。
日本は敗れたが、英軍は再び取り返すことができず
マレーシアは独立したのだ。
日本なくして東南アジアの独立はありませんでした。
なぜ日本が謝るのでしょうか?
あの大戦でマレーシア人と同じ小さな体の日本人が、大きな体のイギリス人を追い払ってくれたではないですか。
日本なくして東南アジアの独立はありませんでした。
この日本が払った尊い犠牲を否定することは、バックミラーばかり見ているようなものです。

サンティン・アムステルダム市長
本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人のほうです。
日本は敗戦したが東亜の目的は実現した。
その結果アジア諸民族は各々独立を達成した。
日本の功績は偉大であり、血を流して戦ったあなた方こそ最高の功労者です。
自分をさげすむことを止め、その誇りを取り戻すべきであります。

タナット・コーマン氏(タイ国元副首相)
あの戦争によって、世界のいたるところで、植民地支配が打破されました。
そしてこれは日本が勇戦してくれたおかげです。
新しい独立国が多くの火の中から不死鳥のように姿を表わしました。
誰に感謝を捧げるべきかは、あまりにも明白です。

<インドネシア> モハメット・ナチール元首相)
アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。
大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を、日本が代表して敢行したものです。
大東亜戦争というものは本来なら、私たちインドネシア人が独立のために戦うべき戦争だったと思います。
もしあの時、私たちに軍事力があったなら、私たちが植民地主義者と戦ったでしょう。
大東亜戦争はそういう戦いだったのです。

<インドネシア> サンパス(元復員軍人省長官)
特にインドネシアが感謝することは、戦争が終わってから日本軍人約1000人が帰国せず
インドネシア国軍と共にオランダと戦い、独立に貢献してくれたことである。
日本の戦死者は、国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲賞を贈っているが、それだけですむものではない。

<インドネシア> ブン・トモ(元情報相)
日本軍が英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。
我々は白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信を持ち、独立は近いと知った。
そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。
そして実は我々の力でやりたかった。

<インド> ネール(初代インド首相)
彼ら(日本)は、謝罪を必要とすることなど、我々にはしていない。
それ故インドは、サンフランシスコ講和会議には参加しない。
講和条約にも調印しない。

グラバイ・デサイ(インド弁護士会会長)
インドは程なく独立する。
その独立の契機を与えたのは日本である。
インドの独立は日本のおかげで30年早まった。
この恩は忘れてはならない。
これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ、東亜民族はみな同じである。
インド国民はこれを深く心に刻み、日本の復興には惜しみない協力をしよう。

<ビルマ> バーモウ(元首相)
日本ほどアジアを白人支配から離脱することに貢献した国はない。
しかしまた、日本ほど誤解を受けている国はない。

チャンドラ・ボース(デリーインド国民軍裁判主席弁護人)
日本軍の勝利は、アジアのインド人に感銘を与え、自由獲得の戦いに、参戦することを可能にした。

ククリット・プラモード(タイ国元首相)
日本のおかげでアジア諸国は全て独立した。
日本というお母さんは、難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決意をされた日である。
更に8月15日は、我々の大切なお母さんが、病の床に伏した日である。
我々は、この二つの日を忘れてはならない。

<アメリカ> ベン・ブルース・ブレークニー(東京裁判弁護士)
原子爆弾という、国際法で禁止されている残虐な武器を使用して
多数の一般市民を殺した連合国側が、捕虜虐待について、日本の責任を問う資格があるのか。

<インド> パール判事(極東国際軍事裁判判事・法学博士)
私の判決文を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということが分かるはずだ。
それなのに、あなた方は、自分らの子弟に、
「日本は犯罪を犯したのだ」
「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」
と教えている。
満州事変から大東亜戦争に至る真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。
日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って、卑屈、退廃に流されていくのを
私は平然として見過ごすわけにはゆかない。
時が熱狂と偏見とを和らげた暁には、また理性が虚偽から、その仮面をはぎとった暁には
その時こそ正義の女神は、その秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに
そのところを変えることを要求するであろう。
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2013年10月28日

話を聞く人、聞かない人


子供たち(明治半ば頃_着色写真)


日本語というのは、考えてみると実によくできた言語であるように思います。
ちゃんと相手の言うことを聞くように、言語そのものができている。

どういうことかというと、たとえば例は古いですが、セーラームーンというアニメがあって、主人公の少女が最後に悪漢をやっつけるときに、
「月に代わって〜、おしおきよ♡♪」
と言うわけです。

これは実に日本的な表現で、これが諸外国の言語のように、「S+V+C」とか「S+V+O」というカタチですと、
「私は、します。おしおきを。月に代わって」
となるわけです。
(S=主語、V=述語、C=補語、O=目的語)



http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2037.html転載
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2011年11月21日

歴史と伝統踏まえた祝日を


【土・日曜日に書く】
論説委員・石川水穂 歴史と伝統踏まえた祝日を


2011.11.12 03:12 土・日曜日に書く


 ◆「明治の日」目指す集会

 文化の日の11月3日、東京・九段で、「明治の日を実現しよう!国民集会」が開かれた。この日は明治天皇の誕生日で、戦前は「明治節」として祝われた。その本来の祝日に改めたいと願う人たちの集まりだった。

 渡辺利夫拓殖大学長は「明治の意義〜栄光と苦悩〜」と題する記念講演で、「国家と国民がともに坂の上の雲を目指して進み、目標を共有できた時代が明治だった」と述べた。

 渡辺氏はさらに、明治時代の傑出した指導者として陸奥宗光外相を取り上げた。日本が日清戦争後の下関条約で得た遼東半島の還付を露独仏から求められた三国干渉に対し、陸奥がこれを受け入れ臥薪嘗胆(がしんしょうたん)を期したことを「ポピュリズムにとらわれない迅速・機敏な判断だった」と評価した。

 また、大原康男国学院大教授は幕末の日米修好通商条約(1858年)などで奪われた関税自主権を回復したのが明治末の44(1911)年だったことを指摘し、「不平等条約是正のために明治の一世をついやした。明治は主権回復の時代だった」と強調した。

 集会では、「(11月3日は)明治天皇と一体となり国づくりを進めた、明治の御代を追憶するための祝日である」「文化の日などという曖昧な祝日ではない」とする決議が採択された。

 ◆占領下で成立した祝日法

 現行の祝日法は昭和23年7月に成立した。それまでの「祝祭日」が皇室の行事に基づき、国家神道の色彩が強いとして、改廃を求めるGHQ(連合国軍総司令部)の勧告を受け、23年1月から衆参両院の文化委員会で審議された。

 GHQの意向に縛られない意見も出された。

 2月26日の参院文化委員会で、緑風会の三島通陽は明治節の存続を求める請願の趣旨について、こう述べている。

 「明治の御代は新生日本の躍動する生命の源であり、政治に、文化に、経済に、あらゆる面において永久に忘れることのできない時代である。故にわれわれはこの明治節というものを通じて明治時代を永久に思い出していきたい」

 6月18日の参院文化委員会では、民主自由党の徳川頼貞が旧祝祭日の「紀元節(2月11日)」について、「起源が非科学的であるという考え方もあるが、神話を神話として新しい国民に伝えるのは差し支えないのじゃないかと考えたい」と述べた。

 2月11日は、初代神武天皇が即位したと伝えられる日だ。

 この間、総理府で世論調査も行われた。「祝日はどの日がいいか」との問いに、1位は「新年」(99%)、次いで「天皇陛下のお誕生日」(86%)▽「建国の記念日」(81%)の順だった。

 ◆紀元節にGHQが猛反対

 だが、紀元節を建国記念日として残すことにも、GHQ民間情報教育局のバンス宗教課長は「たとえ、国会で承認されても、許可できない」と強く反対した。日本側は紀元節の存続を断念した。

 また、11月3日は現行憲法が公布された日で、参院側はこの日を「憲法記念日」にしたかったようだ。しかし、衆院側で新憲法が施行された5月3日を「憲法記念日」、11月3日を「文化の日」としたいとの案が示され、参院側もこれに従った。

 文化の日の意義は「自由と平和を愛し、文化をすすめる」と新憲法を意識した文言になった。

 旧祝祭日で「新嘗祭(にいなめさい)」だった11月23日については、衆参両委員会の打合会で、「労働感謝の日」と「勤労感謝の日」の2案が出され、多数の支持で後者に決まったとされる。

 新嘗祭は、天皇陛下が新穀を神様にお供えし、ご自身もそれを召し上がる最も重要な宮中祭祀(さいし)である。「勤労感謝の日」では、本来の意義が分からない。

 GHQは昭和23年3月まで、祝祭日の国旗掲揚を禁止した。

 東京裁判の起訴状伝達は昭和天皇誕生日の21年4月29日、東条英機元首相ら7人の死刑執行は当時の皇太子殿下の誕生日(現在の天皇誕生日)の23年12月23日に行われた。「バターン死の行進」の責任を問われ、マニラで戦犯として裁かれた本間雅晴元中将の死刑判決は旧紀元節の21年2月11日、銃殺刑に処された日は旧神武天皇祭の同年4月3日だった。

 いずれも偶然とは思えない。

 戦後の新祝日法は、そのような状況下で、日本側がGHQに精いっぱいの抵抗を示しながら成立した半ば不本意な法律といえる。

 その後、紀元節は昭和42年、建国記念の日として復活したが、文化の日や勤労感謝の日はそのままだ。日本の歴史と伝統文化を踏まえ、本来の祝日のあり方を再検討すべき時期が来ているように思われる。(いしかわ みずほ)

http://sankei.jp.msn.com/life/news/111112/trd11111203120000-n1.htm転載

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